人の生き方も、逝きかたも、人それぞれに物語があります・・・
大正生まれのその方の青年時代は、戦争のまっただ中。
戦友の中には、特攻隊で海に空に散った人たちもいる。
その方の特攻の順番は決まっていたものの、終戦により出撃することはありませんでした。
生き残ったその方は、「若くして逝った戦友たちの分まで長生きする」というのが、常日頃からの口ぐせだったとか。
生きていくために自分自身を奮い立たせる、自らへの叱咤激励であったのかもしれません。
鹿児島にある「知覧特攻平和会館」が、1975年に開館されて以来、その方は幾度も、時には毎年訪れていました。

何年経っても何度訪れても、涙は枯れることはありませんでした。
時を重ね、最後は車椅子で家族に連れて行ってもらった「特攻平和祈念館」。
その年のある日、その方はいつものように家族と共に夕食を食べ、いつもの時間に就寝し・・・そして、そのまま旅立たれました。
なつかしき戦友たちは、なつかしい笑顔で迎えに来てくれたのでしょうか。
人生を生き尽くした方の、日常からそのまま続く「死」がそこにはありました。

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